幼いころから見てきた映画やドラマの中で、
“幸せの形”は、すでに出来上がっていた気がする。
恋人と手をつなぎながら夕日を見れば幸せ。
お金を手に入れたら成功。
孤独は不幸。
そうやって、いつの間にか誰かの物語を
自分の「理想」として生きてきた。
でも、最近思う。
その“理想”は本当に自分のものだったのかな。
誰かが描いた「こうあるべき」を
一枚ずつはがしていくように、
自分の輪郭を確かめていく作業。
怖いけど、
その破壊の瞬間に、
ほんの少しエクスタシーを感じる。
壊れて初めて見える景色がある。
それが、きっと「ほんとうの幸せ」に近い。
造られた私の理想像
幼いころから、生活の中で入ってくる情報は数え切れない。
絵本やドラマの中には、「幸せ」のテンプレートがいくつも用意されていた。
貧しい子が王子様と出会い幸せになった物語。
貧乏な暮らしからお金を手に入れて成功した人生。
見た目に自信がなかった子が綺麗になり、憧れの人と結ばれる話。
恋愛ドラマでは、紆余曲折の末に結婚して子どもができ、「これが幸せです」と言わんばかりの結末。
そんな物語を繰り返し見てきた私たちは、
気づかないうちに“造られた理想像”を自分の中に植えつけてしまったのかもしれない。
結婚しても、どこか歯車が噛み合わないような違和感。
「これが幸せのはずなのに」と自分を責めてしまう気持ち。
でも、それはもしかしたら、時代が変わっても頭の中の「理想」が
昔のまま止まっているからなのかもしれない。
今の若い世代は、モノも情報もあふれる時代の中で、
“1人でも割と楽しく暮らせる”ライフスタイルを選ぶ人が多い。
「寂しいと感じることはあるけど、そんなに気にならない」
という言葉に、私は少し羨ましさを感じてしまった。
私ももっと自由に動いて、
“本当の幸せ”をもう一度、自分の意思で選び直したい。
その先に、1人でいることの幸せがあるのか、
それとも、誰かと寄り添う幸せがあるのか——
それを確かめていく旅を、これから始めてみようと思う。
このエッセイが生まれた背景
このエッセイ「幸せのテンプレートを壊す勇気」は、
AIと話していく中で、ふと自分の中からこぼれた言葉を
少しずつ形にしていったものです。
私たちの“幸せの定義”は、いつの間にか誰かの物語の中でできあがっていて、
気づかないうちにそれを自分の理想と信じて生きてきた。
でも、それを一枚ずつ剥がしていくと、
「本当の私」に触れられる瞬間がある。
その過程は少し怖くて、孤独で、でも美しい。
そんな“心のゆらぎ”を、私はこれからも言葉にしていきたいと思っています。







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